徒然なるままに

徒然なるままに、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくっていくブログ。

挑戦パーマネント

朝目が覚めると、小栗旬になっていた。

 

そんなことは例え前前前世から徳を積みに積みまくっても起こり得ない奇跡である。

 

だから私はパーマをかけた。

 

 

ここで「だから」という順接が使われていることに対し「????」となっている方が大多数だとは思うが、とにかくパーマをかけたのだ。

 

夏も終わり、空気も秋の冷たさを感じるようになった9月中旬、人生の夏休みともいえる大学時代、そのまた夏休みが終わろうとしていた。

 

そこで私は大学デビューを決意した。

大学四年目の秋にして、大学デビュー。

あまりにも遅い気がするし、松岡修造でさえ静かに肩に手を置き「諦めな」と声をかけるであろう決意ではあるが、こうした思いに至るまでにはちょっとした経緯がある。

 

近頃、内定先の懇親会や教育実習などといった、今までに面識がなかった人と交流する機会が多くあった。

 

そういった場で今まで接してこなかった人と話していると、部活以外でもこうして多種多様に何かを頑張ってきた人がいるのだな、と感慨深く感じた。

そして敬意を感じると同時に、ふと思ったのだ。自分が部活を引退した時、何が残るのだろうか、と。

 

留学など、英語を頑張って学びましたと言う方がいれば、語学力がその身には残されるだろう。一方私はどうだろうか。社交ダンス部を引退した私に残されるものといえば「ちょっと姿勢がいい」ことと「すげー体をくねくねできる」ことくらいである。

 

部活を頑張ってきたことに一片の悔いも無いし、得られたものもたくさんあるが、前述した語学力のように、社会に出た時形に残るものは果たして自分にあるのか、と疑問に思ったのだ。

私はもっと部活以外のことにも目を向けるべきでは無いのか?そう感じたのである。

 

また、同時期に朝井リョウ氏のエッセイにどハマりしたことも一つの要因である。

「何者」や「桐島部活やめるってよ」の原作者であることで知られる彼だが、エッセイも手がけていて、それがまたドチャクソ面白いのである。

そのエッセイの一つに「時をかけるゆとり」というものがあり、そこには大学時代にあった出来事が面白おかしく綴られていて、それがマジでサイコーなのだ。

興奮のあまり急にボキャブラリーが貧弱になってしまい申し訳ない。

 

テンポが良く、自虐的ながらも知性を感じさせるその文体も非常に素晴らしいのだが、そこに記されている大学時代の出来事がそもそもめちゃくちゃ面白い。

それを読んで感じたのは、「面白い話をするためにはまず、面白いことに出会わなけれいけない」ということだ。

これはブログを書いていて以前から常々感じていたことではあったのだが、今の私に話すことが出来る話題は部活のことばかりであり、初めは社交ダンスという珍しいものに興味を示したとしても、しばらくすれば「魔法のさしすせそ(※1)」が返ってくるだけになることは目に見えている。

 

※1(「魔法のさしすせそ」とは相手の話に興味がなくなった際に用いられる「さすがですね」「知らなかった」「すごい」「センスあるね」「そうなんだ」といった万能言語であり、話し相手がこれらを使い始めたら興味がないことを察し、早急にその話を切り上げる必要があると言える。因みに私が女子と喋ると、3分ほどでこれらのワードが出てくる。)

 

そこでも私は部活以外の、もっと広い世界に目を向ける必要性を感じたのだ。

 

だから私は、パーマをかけた。

ここまで説明してもこの順接に対し画面の前で「は?」という表情をしているのが目に見えているのだが、

 

とどのつまり、「絶対にやらないだろう」と思っていたことに果敢に挑戦しようと思ったのだ。

 

なにもパーマをかけようと思い立ったのは今回が初めてではなかった。しかしかけてみようかと友人に相談すると「絶対にやめておけ」とまるで犯罪に走ろうとする友を止めるような形相で反対されたので実行に至らなかった。

 

しかし、失敗を恐れて挑戦しないまま社会人になってしまったら、「もしかしたらパーマめっちゃ似合ってたのではないか」「小栗旬になっていたのではないか」という後悔を抱えたまま生きていくことになるかもしれない。

そう思った私は、電話を取り、「カットとパーマ、お願いします」と震える声で予約をしたのであった。

 

そして予約日当日、私は戦場に旅立つ戦士の面持ちで店のドアを開けた。

いざカットが始まり、頭に薬品をぶっかけられ、謎のタオルを被せられた私は、さながら組み分け帽子を被せられたハリーポッターのように期待と緊張に包まれていた。

 

「おばちゃんは嫌だ、おばちゃんは嫌だ、おばちゃんは嫌だ」と、1年生の時、ことごとくおばちゃんのようになっていた同期のパーマを思い出しながら祈る。

 

「はい、出来上がりましたよ〜」

 

そして、恐る恐る鏡に目をやると

 

 

そこにはなんと、小栗旬

 

 

いるはずもなく

 

 

なんか面白い髪型した自分が写っていた。

 

 

 

 

ーーーーそうじゃないでしょ

 

この一言に尽きた。

 

面白いのだ。どこからどうみても、面白い髪型なのだ。

オシャレだとかそういった感想は一切でてこなかった。

 

唖然とする私に店員さんが「長さとかこんくらいでいいかな?」ってすごいにこやかに聞く。

いや、長さとかの問題ではないのでは?

なんなら丸坊主にしてリセットするべきではないか?

動揺していた私は「アッ、大丈夫ですぅ」とえへらえへら答えることしかできなかった。

 

そして家に帰り、鏡を見る。

 

 

 

 

ーーーー大丈夫じゃない。

 

全然大丈夫じゃないのだ。

髪型自体は変じゃないのかもしれない。しかし豚に真珠ならぬ陰キャにパーマというべきか。

実習先の中学校で「先生なに部だったとおもう?」という質問に対し「科学パソコン部」「帰宅部」「卓球部」というビッグ3が出揃った私が色気付くもんじゃねえなと思った。

 

しかし、どうにかならんかとずっと髪をいじっていると「あれ、意外といけるんじゃね?」「見慣れてしまえば割と普通なんじゃね?」という感覚に襲われた。

劇的な髪型の変化に脳がやっと追いついたのか、はたまた「1万弱かけたパーマが失敗した」という現実を受け入れたくない自己防衛なのかは分からないが、なんかイケてる気がしてきたのだ。うん。全然大丈夫。なんならかっこいい。ほぼ小栗旬だわ。

 

そんな感じで感性が麻痺した中、私は友人たちがいる部活へと向かった。小栗旬が来たと勘違いしてサインとかせがまれたらどうしよう。そんな気持ちであった。

 

 

そして、いよいよお披露目だ。

友人からの最初の一言は「かわいい」で、それに続き様々な感想が飛び出た。

「なんか変」「てか普通におかしい」「かけないほうがいい」「なんでかけたの?」「なんか失敗してね?」「かつらみたい」「寝癖ひどいよ」「パーマかけても彼女はできないよ」「めっちゃモテたい感出てる」「なんならSNSもモテたい感ヤバイ」「つらい」「しんどい」「なんか泣きそう」

 

 

 

 

ーーーー死にたい。

 

あんまりである。なんなんだ君達は。パーマになんか恨みでもあるのか。一族郎党パーマに皆殺しにでもされたのか。

一人でも、お世辞で悪くないねと声をかける人間はいないのか。全く優しさも思いやりもないクソ同期たちである。

 

ていうかパーマと彼女は関係ないのでは?なんでパーマかけただけで人格まで否定されているんだ私は?

そして髪型ついでになぜかSNSの様子までバカにされる始末である。まあ確かに思い当たる節はあるのだが、それはまた別の機会に話そう。

さらに言えば「つらい」「しんどい」ってどういうことなんだ。全力で「それはこっちのセリフだバカ」と言いたいところだが、まさか自分がパーマをかけることで誰かを傷つけることになるなんて思いもしなかった。英語の先生風に言うのであれば「My permanent made her sad.」である。英語が堪能なわけではないが、この英文が使われることは二度とないだろうということはなんとなくわかった。

 

 

 

結果、私のパーマへの挑戦は罵詈雑言を浴びせられる形で終わった。なんなら危うく1人の女子を泣かすところであった。散々である。

 

しかし、この挑戦は私にとって成功であった。

 

 

散々笑い者にされたが、念願の「大学時代の失敗談」という一つのネタができたわけだ。しかも一生使わないだろうありえない英文を作り出すこともできた。

「使わない英語シリーズ」出版の関係者がいたら是非お声がけしていただきたいものだ。

 

 

 

大学生活もあと約半年。

後悔しないよう色んなことにデビューしたい。

そんな思いがこのパーマにはかかっているのだ。

 

失敗を恐れず、挑戦し続けることを胸に誓った。

あと、もう二度とパーマをかけないことも誓った。