徒然なるままに

徒然なるままに、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくっていくブログ。

挑戦パーマネント

朝目が覚めると、小栗旬になっていた。

 

そんなことは例え前前前世から徳を積みに積みまくっても起こり得ない奇跡である。

 

だから私はパーマをかけた。

 

 

ここで「だから」という順接が使われていることに対し「????」となっている方が大多数だとは思うが、とにかくパーマをかけたのだ。

 

夏も終わり、空気も秋の冷たさを感じるようになった9月中旬、人生の夏休みともいえる大学時代、そのまた夏休みが終わろうとしていた。

 

そこで私は大学デビューを決意した。

大学四年目の秋にして、大学デビュー。

あまりにも遅い気がするし、松岡修造でさえ静かに肩に手を置き「諦めな」と声をかけるであろう決意ではあるが、こうした思いに至るまでにはちょっとした経緯がある。

 

近頃、内定先の懇親会や教育実習などといった、今までに面識がなかった人と交流する機会が多くあった。

 

そういった場で今まで接してこなかった人と話していると、部活以外でもこうして多種多様に何かを頑張ってきた人がいるのだな、と感慨深く感じた。

そして敬意を感じると同時に、ふと思ったのだ。自分が部活を引退した時、何が残るのだろうか、と。

 

留学など、英語を頑張って学びましたと言う方がいれば、語学力がその身には残されるだろう。一方私はどうだろうか。社交ダンス部を引退した私に残されるものといえば「ちょっと姿勢がいい」ことと「すげー体をくねくねできる」ことくらいである。

 

部活を頑張ってきたことに一片の悔いも無いし、得られたものもたくさんあるが、前述した語学力のように、社会に出た時形に残るものは果たして自分にあるのか、と疑問に思ったのだ。

私はもっと部活以外のことにも目を向けるべきでは無いのか?そう感じたのである。

 

また、同時期に朝井リョウ氏のエッセイにどハマりしたことも一つの要因である。

「何者」や「桐島部活やめるってよ」の原作者であることで知られる彼だが、エッセイも手がけていて、それがまたドチャクソ面白いのである。

そのエッセイの一つに「時をかけるゆとり」というものがあり、そこには大学時代にあった出来事が面白おかしく綴られていて、それがマジでサイコーなのだ。

興奮のあまり急にボキャブラリーが貧弱になってしまい申し訳ない。

 

テンポが良く、自虐的ながらも知性を感じさせるその文体も非常に素晴らしいのだが、そこに記されている大学時代の出来事がそもそもめちゃくちゃ面白い。

それを読んで感じたのは、「面白い話をするためにはまず、面白いことに出会わなけれいけない」ということだ。

これはブログを書いていて以前から常々感じていたことではあったのだが、今の私に話すことが出来る話題は部活のことばかりであり、初めは社交ダンスという珍しいものに興味を示したとしても、しばらくすれば「魔法のさしすせそ(※1)」が返ってくるだけになることは目に見えている。

 

※1(「魔法のさしすせそ」とは相手の話に興味がなくなった際に用いられる「さすがですね」「知らなかった」「すごい」「センスあるね」「そうなんだ」といった万能言語であり、話し相手がこれらを使い始めたら興味がないことを察し、早急にその話を切り上げる必要があると言える。因みに私が女子と喋ると、3分ほどでこれらのワードが出てくる。)

 

そこでも私は部活以外の、もっと広い世界に目を向ける必要性を感じたのだ。

 

だから私は、パーマをかけた。

ここまで説明してもこの順接に対し画面の前で「は?」という表情をしているのが目に見えているのだが、

 

とどのつまり、「絶対にやらないだろう」と思っていたことに果敢に挑戦しようと思ったのだ。

 

なにもパーマをかけようと思い立ったのは今回が初めてではなかった。しかしかけてみようかと友人に相談すると「絶対にやめておけ」とまるで犯罪に走ろうとする友を止めるような形相で反対されたので実行に至らなかった。

 

しかし、失敗を恐れて挑戦しないまま社会人になってしまったら、「もしかしたらパーマめっちゃ似合ってたのではないか」「小栗旬になっていたのではないか」という後悔を抱えたまま生きていくことになるかもしれない。

そう思った私は、電話を取り、「カットとパーマ、お願いします」と震える声で予約をしたのであった。

 

そして予約日当日、私は戦場に旅立つ戦士の面持ちで店のドアを開けた。

いざカットが始まり、頭に薬品をぶっかけられ、謎のタオルを被せられた私は、さながら組み分け帽子を被せられたハリーポッターのように期待と緊張に包まれていた。

 

「おばちゃんは嫌だ、おばちゃんは嫌だ、おばちゃんは嫌だ」と、1年生の時、ことごとくおばちゃんのようになっていた同期のパーマを思い出しながら祈る。

 

「はい、出来上がりましたよ〜」

 

そして、恐る恐る鏡に目をやると

 

 

そこにはなんと、小栗旬

 

 

いるはずもなく

 

 

なんか面白い髪型した自分が写っていた。

 

 

 

 

ーーーー思ってたんと違う。

 

この一言に尽きた。

 

面白いのだ。どこからどうみても、面白い髪型なのだ。

オシャレだとかそういった感想は一切でてこなかった。

 

唖然とする私に店員さんが「長さとかこんくらいでいいかな?」ってすごいにこやかに聞く。

いや、長さとかの問題ではないのでは?

なんなら丸坊主にしてリセットするべきではないか?

動揺していた私は「アッ、大丈夫ですぅ」とえへらえへら答えることしかできなかった。

 

そして家に帰り、鏡を見る。

 

 

 

 

ーーーー大丈夫じゃない。

 

全然大丈夫じゃないのだ。

髪型自体は変じゃないのかもしれない。しかし豚に真珠ならぬ陰キャにパーマというべきか。

実習先の中学校で「先生なに部だったとおもう?」という質問に対し「科学パソコン部」「帰宅部」「卓球部」というビッグ3が出揃った私が色気付くもんじゃねえなと思った。

 

しかし、どうにかならんかとずっと髪をいじっていると「あれ、意外といけるんじゃね?」「見慣れてしまえば割と普通なんじゃね?」という感覚に襲われた。

劇的な髪型の変化に脳がやっと追いついたのか、はたまた「1万弱かけたパーマが失敗した」という現実を受け入れたくない自己防衛なのかは分からないが、なんかイケてる気がしてきたのだ。うん。全然大丈夫。なんならかっこいい。ほぼ小栗旬だわ。

 

そんな感じで感性が麻痺した中、私は友人たちがいる部活へと向かった。小栗旬が来たと勘違いしてサインとかせがまれたらどうしよう。そんな気持ちであった。

 

 

そして、いよいよお披露目だ。

友人からの最初の一言は「かわいい」で、それに続き様々な感想が飛び出た。

「なんか変」「てか普通におかしい」「かけないほうがいい」「なんでかけたの?」「なんか失敗してね?」「かつらみたい」「寝癖ひどいよ」「パーマかけても彼女はできないよ」「めっちゃモテたい感出てる」「なんならSNSもモテたい感ヤバイ」「つらい」「しんどい」「なんか泣きそう」

 

 

 

 

ーーーー死にたい。

 

あんまりである。なんなんだ君達は。パーマになんか恨みでもあるのか。一族郎党パーマに皆殺しにでもされたのか。

一人でも、お世辞で悪くないねと声をかける人間はいないのか。全く優しさも思いやりもないクソ同期たちである。

 

ていうかパーマと彼女は関係ないのでは?なんでパーマかけただけで人格まで否定されているんだ私は?

そして髪型ついでになぜかSNSの様子までバカにされる始末である。まあ確かに思い当たる節はあるのだが、それはまた別の機会に話そう。

さらに言えば「つらい」「しんどい」ってどういうことなんだ。全力で「それはこっちのセリフだバカ」と言いたいところだが、まさか自分がパーマをかけることで誰かを傷つけることになるなんて思いもしなかった。英語の先生風に言うのであれば「My permanent made her sad.」である。英語が堪能なわけではないが、この英文が使われることは二度とないだろうということはなんとなくわかった。

 

 

 

結果、私のパーマへの挑戦は罵詈雑言を浴びせられる形で終わった。なんなら危うく1人の女子を泣かすところであった。散々である。

 

しかし、この挑戦は私にとって成功であった。

 

 

散々笑い者にされたが、念願の「大学時代の失敗談」という一つのネタができたわけだ。しかも一生使わないだろうありえない英文を作り出すこともできた。

「使わない英語シリーズ」出版の関係者がいたら是非お声がけしていただきたいものだ。

 

 

 

大学生活もあと約半年。

後悔しないよう色んなことにデビューしたい。

そんな思いがこのパーマにはかかっているのだ。

 

失敗を恐れず、挑戦し続けることを胸に誓った。

あと、もう二度とパーマをかけないことも誓った。

羞恥アダルト

大人になるって、どういうことなんでしょうか。

 

皆さんは、自分のことを「大人」だと思いますか?

 

大人の線引きって誰しもが考えたことがあると思います。しかしその感覚は人によって千差万別で、成人したら、もしくは経済的に独立したらなど、一概に線引きできるものではありませんよね。

 

しかし先日、「あ、これが大人になるってことなのか」と実感した出来事があったんですね。

 

 

それは、夏の暑さうだる大阪でのことでした。

 

僕は社交ダンス部に所属しており、その大会で大阪に出向いていたんですね。
まあちょっとした観光も兼ねていたので、動きやすく、快適な格好は不可欠なわけで。


そこで関西となればさぞ暑かろうと思い、当たり前のように僕はタンクトップを着ていったんですよ。

 

ここ数年間で「ノースリーバー」としての立ち位置を確立した僕にとってそれは至極当然の選択であり、一片の疑いの余地もありませんでした。

 

しかしいざ現地に着いてみるとですね、大阪ってやっぱ都会なんすよ。

 

で、都会ってことは人も多くてですね、まあ人が多ければおしゃれな人なんかも多くなっているわけで…。

 

 

まあ、なんつーか、そう、

 

 

恥ずかしかったんすよ、タンクトップ。

 

 

タンクトップを着るようになって7年目くらいなんでしょうかね。僕、初めてっすよ。タンクトップに恥じらいを感じたの。

 

その時、恥じましたよ。タンクトップではなくて、タンクトップを恥じてしまった自分をね。
今まで寝食共にし、いつも俺を包み込んできてくれたタンクトップを恥じるだなんて。

 

でも思ったんです。親と手を繋いで歩くことが恥ずかしくなったあの時のように。

 

 

これが、大人になるってことなのか、と。

 

 

親離れ同様、僕もノースリーブ別れが必要な時期に差し掛かったのだと、そう感じました。

 


皆さんにも、大人になってしまったんだなあという出来事、ありませんか?


振り返ってみると、子どもの頃にはできていたのに、今はできなくなってしまったことってたくさんありませんか?

 

 

僕が1番できなくなったなーてのは、「想像すること」ですね。

 

昔は暇な時、自作漫画のストーリーだとかキャラクターを想像するだけでいくらでも時間を潰せたし、退屈することはありませんでした。

 

さらに昔になれば右手と左手を戦わせたり、学校に乗りこむテロリストを撃退する妄想するだけで授業は終わってたし、退屈なドライブも窓から見える屋根や電柱を右手に飛び移らせるだけでどこまでも走り行くことができました。

 

今では暇な時、スマホとか本といった媒体なしでは昔のように時を飛ばすことができなくなってしまいました。

 

 

思い返してみると、ほんとに子ども時代の想像力って偉大だったなと。

 

 

しょーもない男子大学生となってしまった今想像できることといったらどうやったらモテるかとエロいことくらいですからね。


悲しいことに、大人になるってのは、何かしらの自由さを失うことなのかもしれません。


服装の自由さ、発想の自由さ、社会的な自由さ。
そういった自由さを失い、社会の背景のようになっていくことが、もしかしたら「大人になる」ということになるのではないでしょうか。

 


また、多くの大人が子どもの頃を焦がれるのは、こうした自由を再び謳歌したいからではないかとも思いました。

実際、大人になったとしても、子どもらしい自由さを、何かしら持ち続けていきたいものですね。

 

だから僕はこれからも「ノースリーバー」として生き続けます。

 

たとえ社会人になり、東京にいってしまったとしてもね。

 

 

 

 


まあまず社会人になれるかどうかってとこが当面の課題です。よろしくお願いします。

寒暖ウォレット

スーツのお尻に穴が空きました。

 

 

就活における長時間の夜行バスやマックでの僕の蒸れたケツ圧に堪え兼ね、財布の角が顔を出し、弾痕の様な穴が開いてしまいました。

 

歌舞伎町あたりを歩けば「テメー、カタギじゃねぇーな」と声をかけられそうなケツになってしまいましたが、今日も無事就活の面接を終えることができました。

 

就活を始めて2ヶ月が経ち、さすがの僕も東京の街に慣れてきました。

まあ、2ヶ月もあれば、色んなことが起きましたね。

 

皆さん、東京の人間にどんな印象を抱いてますか?

東京の人は冷たいなんて言いますよね。

確かに、人が多い分すれ違いざまぶつかってもなんてことなさそうですし、満員電車でぎゅうぎゅうに押し込まれたりすると全員漬物にして豚に食わせてやりたい気分にはなりますね。

 

でもそんな嫌なことばかりではなく、いい話もあるんですよ。

 

先日、池袋で証明写真を撮った際、財布を写真機の中に忘れてしまったんですね。

 

「うわーー、終わったな」って思ったんですけど、

 

なんとその後落し物センターから電話が来て、全額無事で戻って来たんですよ。

 

東京で財布落としてそのまま戻ってくるなんてそうそうないと思いますけどね。係員さんも「いやー、池袋で戻って来るなんてラッキーだねー」って言ってましたからね。

 

実際ほんと不幸中の幸いといいますか。

でも冷たい街なんて言われる東京ですが、そういう心優しい人もいるんだな、と胸が暖まるという経験をしました。今後は落とさない様に気をつけたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

と思ってたら、今日新宿で財布パクられました。

 

まあ、こりずに店のトイレに財布忘れた僕も僕なんですけど。

用を足そうとしたらケツに弾痕があるもんだからビックリしてポケットから財布を取り出したんですよ。

これから大事な企業の面接があるのにケツに撃たれたとなれば面接官に「テメー、カタギじゃねぇーな」と心証が悪くなるかもしれませんからね。めっちゃ焦ったんすよ。そしたらそのまま置いて来てしまいまして。

 

店を出て財布がないことに気付いたんですが時間も時間だったのでそのまま面接に向かいました。

しかしケツは撃たれてるし財布は無くなるしで正直面接どころじゃなかったです。

 

「あなたの大学生活で大変だったことはなんですか?」って聞かれたので「たった今だバカ野郎」って答えましたからね。ウソですけど。

 

そんなわけでマジで正真正銘無一文のまま東京に放り出され、ケツに穴が開いた状態で昨日買った食パンを泣きながら食ってました。

 

あわや高速バスの料金も払えず天涯孤独でそのまま僕の人生の幕引きとなるかと思いましたが、友人のおかげでなんとか夜行バスも確保し、無事に山形に向かうことができました。

 

 

まあとどのつまり今回の記事で何がいいたいかというと、

東京の人間はクソ、人類の氷河期

キンッキンに冷えてやがる。悪魔的に。

 

 

もし持って行ったやつ見つけたなら、ケツに鉛玉ぶち込んで東京湾に沈めてやりたいです。

 

 

おわり

(東京の方、すみません)

 

止まった世界

こないだガスが止まりました。

 

 

なんなら電気も止まってました。


就活で1週間ほど家を空けていたのですが、久々にうちに帰ってみたらライフラインが完全に停止してて一瞬文明開化前までタイムスリップしたのかと思いました。

 

まあほとんど家で過ごすことは無かったので自分が困ることはなかったのですが、毎週泊まりに来る友人が非常に困ってましたね。

 

電気もガスも止まって、ゴキブリも「こりゃあかんわ(^^;)」と踵を返すレベルで散らかった家でよく過ごせるなーと思いました。人住むってレベルじゃねーぞ

 

そんな何もかもが止まった家に住んでいた僕ですが、無事支払いを済ませ、文明的生活を取り戻すことができました。

 

しかしそんな安息も束の間

 

まさかね、「アレ」が止まるとは、その時僕は、思いもしませんでした。


僕、四月から急遽就活を始めたため割と忙しい日が続いてて、よくトーキョーさ行くんですね。

 

まあそれでトーキョーという街がですね、いなかっぺの私にはまるでRPGのダンジョンのように感じるくらい難しくってですね。

 

JRだと思ったら違う路線だったり違う改札だったり1階だと思ったら2階だったりちょっと早い電車乗ったら見当違いの場所に連れて行かれたりやっとのこと新宿駅から脱出したらまた目の前に新宿駅あったりと、もしゲームだったら速攻投げるレベルですよ。

 

まあ流石に三週も連続で来たら少し慣れてきたんですけどね。ゲームも三周もしたら慣れますし。
ですが、それでもなおスマホという攻略本なしではこの迷路のような街を攻略することは難しいです。

 

そんなわけで今回も面接を受けにトーキョーにきて、朝の5時半から夕方の17時半までの途方も無い時間をどう潰そうか虚ろに考えていると、急にSafariが動かなくなったんですよね。


あれー、おかしーなー、と思いつつも色々ラインとか試してみるとね、全部繋がらないんすよ。

 

 

 

 


あ、これスマホ止まってるわ

 


ってしばらくして気づきました。
そういや先月の料金、払っていなかったなと。

 

いやーーーー、参りましたよ、これは

 


よりによってこのタイミングか、と。
新宿に着いた途端にコレかと。

 

気持ち的には大海原に1人漂流したような気分でしたね。
大航海時代だって羅針盤無くしては訪れなかったわけで、道しるべなき大海は不安と絶望を僕にもたらしました。

 

ヤベェと思い藁にもすがる思いでサポートセンターに電話したら、営業時間外なので対応できません、ってなると思いきや、そもそも止まってるから繋がらないっていう。


藁にもすがることさえ許されなくなった僕は、ノンアポでセンパイの家に乗り込むというマザーテレサだってうんざりするような手段でなんとかその場を乗り切ることに成功しました。


つーか、スマホ1つ使えなくなるだけでここまで詰むって、どれだけ私たちの生活がこの小さな機械に依存してるのかってのを実感させられました。まあちょっと勉強になりましたね。代償としては全然釣り合ってないですけど。

 


その後は面接に向かう途中電車が止まったりで、こうもせわしなく動き続けるトーキョーという街で、なんで俺は電気もガスも電話も止まっているんだろうトーキョーの街並みを眺めながら唇を噛みしめるのでした。

 


よって今年度、私の目標は「アクティブ」です。
常に動き続け、新しいことに挑戦します。よろしくお願いします。

獄炎トラスト



皆さんは口から入ったものがどこから出てくるか知っていますか?


それはそう、ケツです。
更に言うなら、ケツの穴です。
知ってましたでしょうか。


即ちケツから出るものは口から取り入れたものに限られるわけですが、逆に口に入れさえすれば、どんなものだってケツから出てくるわけですよ。

日が東から昇り西に沈むことと同じく、これはこの世の普遍的な真理なわけで。

逆が起こり得るのはそりゃもう日が西から昇る時か、ヤクザがだれかの奥歯をガタガタ言わせようとするときぐらいです。

しかしですね、ほんとに重要なのはこの真理そのものではなく、それを発見するに至った過程なんですよ。

平成のアリストテレスと呼ばれる僕がこの真理にいかにして気付いたのか?気になりますよね。


それはですね、遡ること幾数日、僕は、口いっぱいに一味唐辛子を頬張っていました。

まぁ、お酒を嗜む学生の方などにとっては、そう珍しい光景ではないかと思います。(そうですよね?)

やはり先輩とお酒を飲むとなれば、アリストテレスだって一味唐辛子を頬張るわけです。

するとですね、新しい発見がたくさんあるんですよ。
一味唐辛子唐辛子の歯ごたえだとか、舌触りだとか。皆さん、知ってます?
因みに一味唐辛子って、薬味ですからね。

生まれてこのかた僕も「風味」くらいしか感じたことありませんでしたけど。
口の中でまじまじと一味唐辛子の存在を初めて味わったわけで。

なんというかほんと、辛いよりも、痛いが先に来るというか。


てか、熱い。マジで。


マンガとかで辛いもの食って、ヒーヒー言って火を吹いてたりしますけど、ほんとあんな感じなんすよね。

さらに言うなれば、ほんと火を食ってるような感じ。比喩とかじゃなくて。
見えてないだけで口ん中で絶対発火してましたからね、あれ。


それで、「これぞホントの口内炎!」っていうの思いついたんですけど、どうですかね?面白くない?ああ、ならいいんです、ハハ…。


さて、口内炎の話は置いておきまして。

本題は、この翌日のことなんですよ。

翌朝目を覚ますと、めちゃくちゃ腹が痛いんですよ。
いやまあ、心当たりはめちゃくちゃ有るんですけどね。有りまくりなんですけども。

で、急いでトイレに駆け込んで行ったわけですよ。そりゃもう、脱兎の如く。



そしたらね、ほんとビックリなんですけど、




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出たんですよ、火が。



いや、確かに目視はしてないですよ。
便器を覗き込みながら用をたすような性癖はありませんので。



でも、絶対発火してましたからね、マジで。


「えっ、火事?」って思いましたもん。
リアクションも完全にアツアツのおでんをぶつけられる上島竜兵のソレでしたからね。

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「あぢゃぁあ〜!!!」という声が聞こえてきますね。



というわけで。
以上が、僕が「mouth to anus理論」という真理に行き着いた経緯となります。
まあ、1つ賢くなったのは良いとして。


実はこの日、この後も一向に腹の調子が良くならなくてですね。

トイレから出られず、1コマの授業に遅刻する羽目になり。
入室したは良いものの、数分で腹痛で席を立つ羽目になり。


泣きっ面に蜂とは正にこのことで。
赤っ恥もいいとこですよ、本当に。
顔から火が出るような思いでした。

ケツからも顔からも火が出てきて。なんだ僕は。悪魔の実の能力者かと。


アリストテレスだって、目を丸くしますよ。「えっ、うっそ、ケツから火出んの?」ってなりますからね。時代が時代ならセンセーション待ったなしっすわ。ギリシア世界とかだったら、確実に教科書に名前残してますよ。プラトンとかソクラテスと絶対肩並べてますから。それで倫理のテストの解答欄には「イデア」とか「ロゴス」とかに並んで「アヌス」とか書かれるんすよ。間違いなくね。


まあ、くだらない事を長々とお話ししましたが。

まとめると、口から入れた火がケツから出たと思いきや、顔から出てきた。そんな1日でした。


日が西から昇る日も、そう遠くないかもしれませんね。


再会ミルキーウェイ

家に「奴」が出た。

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始めての出会いの記事

今季初、通算二度目の登場だ。

一度目はなんの因果かちょうど一年前。最早運命さえ感じる。ロマン。いらないからそういうの。一年周期で必ず巡り合うとか。俺とお前は織姫と彦星かっつーの。女の子がいい。そういうのは女の子がいい。つーか彼女が欲しい。

しかし現実は非情であり、俺に彼女はいないし、家にはゴキブリがでる。それが全てだ。

さて、というわけで家で対峙するのは今回で二度目。
前回はトイレという密室での長期戦だったが、今回はまた違ったシチュエーションでの戦いとなった。
舞台は玄関。からちょっと入ったところ。私がゴミ箱に物を置こうとした時、目の前に奴はいた。カサカサッと、あたかもいるのが当然のように現れたのだ。「いるよー(^^)」みたいな。お前は実家からふらっと遊びに来た親かなんかか。そういうバイト帰りにしれっと家にいたりするのは女の子だけでいい。つーか帰りを待ってくれる彼女が欲しい。

しかしリアルは非常に非情であり、帰りを待つ彼女はいないし、ゴキブリが俺の帰りを待ってるというのが全てだ。

さて、今回の戦場は玄関を少し入った所なのだが、辺りには物や空ペットが入ったゴミ袋が散乱していて、あまりに汚い。なんだこれ。めちゃくちゃ道が入り組んでる。RPGの洞窟ダンジョンかよ。
そりゃ、ゴキブリも出るよねとは思うし、なんなら私がゴキブリだったら「よっしゃここしかねぇやろ(^^)」って思うし。

そんなわけで、前回とは違い一度逃がしてしまえば奴にはいくらでも逃げ場があるという、更に緊張感のある状況での戦いを強いられることになったのだ。

よって今回は長期戦ではなく、一瞬の戦い。
エンカウントした瞬間は、余りの衝撃に「マジでぇ〜😇」と硬直してしまったが、動き出してからはあっという間であった。

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悪 即 斬

私は考えるよりも先に、手の届く所にあった友達のタオルで奴に一閃ぶちかました

敵を的確に捉えた その一閃により、標的は一瞬で行動不能となり、ポトリと床に落ちた。間髪入れず私はそこに洗剤をぶちまけ、10枚くらいのティッシュの奥へと封印し、勝利を収めたのであった。

ただ、犠牲もあった。
友人のタオルと床は犠牲になったのだ。勝利のための犠牲に。

という感じで幕をおろした今回の戦い。
私は翌日友人と銭湯とガストに行き、「いや〜散々だったよ」と手にした平穏を楽しんでいた。

しかし、ガストの玄関を出て間も無くして、私たちはあることを思い知らされるのであった。



「うわぁぁぁぁ!」
と、突如友達の叫び声が聞こえた。

「そこにいる黒いのって…」
と友人が指差す方向に恐る恐る目を移すと…


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いた


なんの因果か、「いや〜ゴキブリの話すっと出てくるって言うからな〜(笑)」という話をした直後に、奴は現れた。

さらに
「おい!お前の後ろにいるのって…」
と後ろを振り返ると


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いた

まるで私たちの退路を防ぐかのように、背後にももう一匹いたのである。

店を出てわずか5mほどの間に、なんと二匹もの奴らと出会うことになるとは。

その時私たちは気付かされたのだ。すでにこの街は、奴らの街になりつつあることを。

そう、私たちの戦いは、まだ始まったばかりだということを…。


続く…(続かないことを願うけど)

恥辱ニューライフ

春が来た。

新入生も入り、そろそろ生活にも慣れてきた頃だろうか。

今更にはなってしまうが、新入生に向けて、ちょっとした注意事項を書いてみたい。

学生となると、多くの人が慣れない地で一人暮らしを 始めるのではないかと思う。

私と例に漏れずその一人で、2年前の春、清明寮という学生寮に住むことになった。
この清明寮というのは、表向きは学生寮として存在しているが、実のところ大学から離れた辺境の地に建てられた監獄で、私はその囚人番号411として投獄されていた。
清明寮を出る人を皆「脱獄おめでとう」とその門出を祝ったものであった。

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イメージ画像

しかし監獄の中ではかなり自由な方であり、外出も自由で、門限も定められていなかった。

新生活に浮かれに浮かれていた私は、見慣れぬ新天地に期待を込め、喜々として監獄を飛び出した。

しかしその時、私はとんでもない過ちを犯してしまっていた。

皆さんは、慣れない地で外出するとき、帰り道はどうやって覚えるだろうか?キレイな石を置いて行くだろうか?パンをちぎって置いて行くだろうか?
多くの方は目立つ建物や、目印を見つけながら歩くのではないだろうか。というか誰だってそうする。俺だってそうする。

だがここで私は、寮を出て遠くにみえる左から二番目の山に向かって、水が流れる道を辿っていけば帰れるだろうという、パンをちぎって歩いたヘンゼルも頭を抱えるレベルで愚かな道の覚え方をした結果、夜中なので当然山は全く見えないし、水路も三つくらいあるということで、完全に迷子になりました。

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清明寮からの景色
(この写真はシャトルバスに乗り遅れ、英語のテストに間に合わないことを悟った日のもの)


自然の声を聞いたりできるタイプの人種ならこの覚え方も可能かもしれませんが、自然どころか「あなたは人の気持ちがわからないよね」とフられた経験さえある私にはとても無理な話である。
一か八か水の音をたよりに道を進め、それらしき建物を見つけるも、よく見たらそれもラブホテルで、私は暗闇の中途方に暮れていた。
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当時の写真

スマホの充電もわずかとなり、最終手段として、断腸の思いで私は当時できて間もない学科のグループLINEに助けを求めた。
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当時のLINE
誤字から焦りがうかがえる

結果画像の通り、友人に迎えに来てもらいなんとかなんとか帰宅。
充電が切れたスマホを握りしめ、暗闇に震えていた私のもとに颯爽と現れた彼らは、まるで世界の救世主のように映った。
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こんくらい頼もしかった。実際は2人だけど。

そんなわけで私は無事に帰れたわけだが当然多くの同じ学部の人がこのクソ恥ずかしいやりとりを見ているわけで。

それからというもの、授業のグループワークなどで自己紹介をする度に「ああ、あの迷子の…」といった感じで完全に迷子キャラになっていました。
しかもLINEの名前も「スピーディかんの」という変態じみた名前であったため、「迷子のスピーディ」という情報だけが先走り、大学ではスピーディというあだ名で呼ばれるようになりました。

皆さんも、新生活の出だしからこのような失態を犯して変なキャラ付けされたり、変な名前で呼ばれないように気をつけましょう。
あと相手の気持ちもよく考えるようにしましょう。フられます。

おわり